日本酒

【新規取扱】「記奥(きおく)」が北海道初進出|愛知県 山﨑合資会社

いつも当店をご利用いただきありがとうございます。
四代目、土井優慶です。

この度、ご縁がありまして愛知県西尾市、山﨑合資会社が手掛ける新しい日本酒ブランド「記奥 -きおく-」の取り扱いが土井商店で始まります。

山﨑合資会社は1903年創業。今年で123年となる酒蔵で、古くから「尊皇」、そして地酒ファンには「奥」という日本酒でも知られています。

今回新しく誕生した「記奥」は、その山﨑合資会社の六代目、山﨑真幸くんが初めて立ち上げた、自分自身のブランドです。

発売日は9月11日。そしてこの日は、山﨑くんが高校1年生の時に亡くした、お父様の命日でもあります。

ここだけ聞けば、「亡き父への想いを込めた新ブランド」という、とても綺麗な話に聞こえるかもしれません。もちろん、それも間違いではありません。

でも僕自身は、彼と知り合ってからの3年間を見てきたので、ちょっと違う見方をしています。

僕にはこの酒が、「父の残したものを守る」というところから一歩進んで、「じゃあ、自分はこれから何を残すのか」を考え始めた酒に見えるんですよね。

土井商店が「記奥」を取り扱うことになった理由については、最後にゆっくり書こうと思います。

「記奥 -きおく-」醸造元 山﨑合資会社

愛知県西尾市。三河湾に面した幡豆という地域に、山﨑合資会社はあります。

実際に僕も蔵へ伺ったことがあります。蔵から少し走ると海岸があって、その日はよく晴れていて、海もすごく穏やかでした。

山﨑くんが「このあたりは“東海の瀬戸内海”とも言われるくらい、海が穏やかなんです」みたいな話をしてくれた記憶があります。

波もほとんどなく、本当に静かな海。蔵の敷地のすぐ目の前にはローカル電車が走っていて、ときどきゴトン、ゴトンと電車が通り過ぎていく。

なんとも、ゆっくりした時間が流れている場所です。

ところが、蔵の敷地に入ると雰囲気が一気に変わります。

背の高い、古くて真っ黒な蔵がそびえ立っていて、そこに大きく「尊皇」の文字。

さっきまで見ていた穏やかな海や、のんびり走るローカル電車とは全然違う迫力があります。さらに敷地内には、山﨑くんのお父様が亡くなる前に建てたという大きな仕込み蔵もある。

123年続いてきた酒蔵です。

そりゃあ、背負っているものも小さくありません。

父が残した「奥」

山﨑真幸くんは、お父様を高校1年生の時に亡くしています。まだ酒造りの仕事に入るずっと前。当然、お父様と酒造りについて十分に話すこともできなかったそうです。

それでも家業には、父がつくってきたものが残っている。酒蔵がある。そこで働く人たちがいる。そして「奥」というブランドがある。

山﨑くんが蔵へ入ってからは、その「奥」をできるだけ大切に、なるべく変えずに守ろうとしていた時期が長かったそうです。

僕はその話を聞いて、「ああ、それはそうなるよな」と思いました。

家業を継ぐって、そんなに単純なことじゃないんですよね。

家業を継ぐということ

僕が家業である土井商店へ戻ったのは24歳の頃です。もちろん僕と山﨑くんでは、家業へ戻ることになった事情も、それまでの人生も全然違います。

それでも、「後を継ぐってことは、背負うってことなんだろうな」という感覚は、よくわかります。

でも、自分に背負えるのか。それはわからない。わからないけど、背負わなきゃいけない。

僕自身、途中で逃げ出しそうになったことだってあります。

だから蔵を案内してくれた山﨑くんを見ている時、なんだか昔の自分と重なるものがありました。

大きな蔵の中を、若い彼が先頭に立って歩いていく。酒造りの話になると、とにかく熱量が高い。あれもやりたい。これもやりたい。でも、当然まだ知らないこともたくさんある。

背負わなきゃいけないという気負い。背負うんだという決意。それと同時に、まだ業界のことを全部知っているわけではないからこその逡巡や迷い。

いろんなものが混沌として彼の中にあるように、僕には見えました。

大きな蔵の中を先頭で歩いていく、そのまだ若い背中とのギャップに、なんだか胸が詰まるような思いがしたのを覚えています。

何を守るのか

家業の後継者って、「先代から受け継いだものを守りながら、自分のやりたいことにも挑戦する」みたいに言葉にすると、なんとなく綺麗にまとまります。

でも実際は、そんなに簡単じゃない。

家族の思惑もある。先代、先々代が残してきたものもある。昔から付き合いのある取引先もいる。

お客様の中には「土井商店って、こういう店だよね」というイメージもあるし、もちろん自分自身が本当はどうしたいのか、という気持ちもある。

全部が交錯します。

しかも仕事を続ければ続けるほど、「土井さんって、こうですよね」「土井商店って、こういう店ですよね」という周囲からの言葉の重みは、日に日に増していきます。

そうなると、「自分が何をやりたいか」ということ自体、僕の場合はだんだん優先順位が下がっていきました。

それより、何を守るのか。何を守らないのか。

そこを決めることの方が難しい。

僕自身、引き継いだものは大切にしてきたつもりです。昔から取り扱ってきた商品。蔵元さんとの関係。お客様との関係。そして長年、家業として商売を続けてきたからこそ生まれた、言葉にはしにくい考え方や哲学。

ただ、今振り返ると、僕が本当に守ろうとしているのは「形」ではなく、哲学なのかもしれません。

父が残したもの

だから山﨑くんを見ていて、少し思うことがあります。

山﨑くんにとって最初、「父が残したもの」というのは、蔵であり、「奥」というブランドだったのかもしれません。

でも自分で酒造りを始めて、酒屋と話して、お客様の声を聞いて、自分のつくった酒を待ってくれる人たちと出会って。

少しずつ、父が残したもの=蔵や「奥」だけではなく、父が残したもの=酒造りそのものと、それを心待ちにしてくれているお客様や酒屋というふうに変わっていったのかな、と。

これはあくまで、僕が彼を見ていて感じたことです。

でも、もしそうだとしたら、既存の「奥」をそのまま守ることだけが、お父様の残したものを守ることではなくなった。

だから初めて、「自分の酒をつくってみよう」と思えたのかもしれません。

そう考えると、今回の「記奥」という酒は、父から離れるための酒ではなく、自分が本当に何を受け継いだのかを、山﨑くんなりに考えた先に生まれた酒なんじゃないかなと思います。

三河湾の「凪」

山﨑くんが「記奥」で表現したいと言ったのが、三河湾の「凪」。

その話を聞いた時、「ああ、あの海か」と、すぐに思い出しました。

蔵へ行った時に見た、晴れた日の穏やかな海。波が立たず、静かで、ゆっくりしている。

本人が目指したのは、そんな酒です。穏やかで、綺麗で、透明感があって。飲み手に強く何かを押しつけるのではなく、そっと寄り添う。

既存の「奥」は、しっかりした濃さや華やかさを持つ酒ですが、「記奥」はアルコール度数も少し抑え、より軽快で穏やかな方向を目指しています。

なるほど。あの海を見た後なら、ものすごくよくわかるコンセプトです。

……なんですけど。

実際に「記奥」を飲んでみました

今回も、商品資料を読む前にまず飲んでみました。よく冷やした状態で、ワイングラスへ。

開栓すると「プシュ」という、少しガスを感じさせる音。

香りは白桃、パイン、杏仁豆腐。少しフルーツポンチのような、甘やかな香りも感じます。

口に含むと、ほんのりとしたガス。舌先をサラサラと撫でるような細かな微炭酸から、意外にも爽やかでシャープな酸味が出てきます。

その酸によって輪郭をつくられたような、ジューシーな甘味。第一印象はかなり軽快です。

でも、そのまま飲んでいくと印象が変わる。途中から旨みがどんどん厚くなってきます。

温度が少し馴染んでくると、「クリーム桃大福」みたいな、もっちりとした甘旨さまで出てきました。最後には、桃の皮を少し剥き残したまま齧った時のような、青さを伴った渋み。

穏やか。綺麗。確かにそういう部分はあります。

でも僕は、「凪ですね」だけでは全然終われませんでした(笑)

なんというか、抑えきれない若いエネルギー。あれもやりたい、これもやりたい。一つにまとめたいんだけど、まだ全部は一つに収束しきっていない欲張りさ。そして迷い。

そういうものが、ぐわーっ。と酒の中から溢れ出ているように感じました(笑)

本人は凪を目指したはずなのに、僕にはその凪の中で山﨑くん本人がまだ暴れているように感じたんですよね。

でも僕は、それがすごく面白いと思いました。だって、最初の一本ですから。

5年後、10年後。山﨑くんがもっと酒造りを経験して、「記奥」が続いていった時、本当に静かな三河湾の凪のような酒になっているかもしれない。

もしかしたら、全然違う方向へ行っているかもしれない。それは誰にもわかりません。

だからこそ、この2026年の最初の一本は今しか飲めないんですよね。

四川麻婆豆腐と合わせてみました

今回合わせてみたのは、高級な料理ではありません。

コンビニで買ってきた四川麻婆豆腐(笑)

花椒、ニンニク、ネギ。かなり強い香味を持った料理です。

これを「記奥」と一緒に飲んでみると、酒単体で感じていた甘さが少し引いて、逆に旨みが前へ出てくる。

意外といい。

むしろ、綺麗な料理に綺麗に合わせるより、少しパンチのある料理にぶつけた方が、この酒の違う面が見えて面白いのかもしれません。

山﨑くん本人が目指した「穏やかさ」だけではない部分を、料理が引き出してくれたような気がしました。

土井商店が「記奥」を扱う理由

山﨑真幸くんと初めて会ったのは、今から3年ほど前。あるイベントで偶然、隣になりました。

まだどこかあどけなさの残る青年で、年齢を聞いて思わず、

「若っ」

って言った記憶があります(笑)

彼自身とは初めまして。でも、彼の蔵の酒とは初めましてではありませんでした。

CWS(Concept Workers Selection)というシリーズの中に、「奥 THE MOON」というお酒があります。これは発売当初から、土井商店でも取り扱っていました。

だから「ああ、あの『奥』の蔵の息子さんなんだ」というところから始まった。

そこからいろいろ話を聞いて、お父様を高校生の時に亡くしていること、その後、若くして蔵へ入ったこと、そして今、自分が酒造りに向き合っていることを知りました。

「え、マジか」

というのが、たぶんその時の素直な感想だったと思います。だって、僕自身も24歳くらいの頃に家業へ戻っていますから。

どうしても、少し昔の自分と重なって見えるんですよね。

実は向こうは、僕のことを知っていた

そして後になって、さらに驚いたことがあります。

山﨑くんは大学生の頃から、土井商店の記事を見てくれていたそうです。しかも僕のことを「日本酒インフルエンサーみたいな人」だと思っていたらしい(笑)

まさか酒屋の社長だとは思っていなかった。それを知ったのが、イベントで隣になって話した時。

本人としては、「いつか自分の酒ができたら、この人に紹介してもらいたい」と思っていたそうです。

これ、僕にとっては結構嬉しい話でした。

土井商店がSNSを積極的にやっている理由って、単純にインターネットでお酒を売りたいからではありません。

父の代にも、土井商店にはミニコミ誌がありました。文章を書いて、お酒のことを伝える。

それが僕の代ではSNSになり、動画になった。ただ、それだけなんです。

伝えるための手段が、時代とともに変わっただけ。

昔は店へ来てくださるお客様に直接話すことしかできなかった。ミニコミ誌なら、もう少し遠くまで届く。今ならSNSや動画を使えば、まだ土井商店のお客様ではない人にも、日本酒の面白さを遠巻きにでも届けられる。

僕が今、社長になって5年目になって少しずつ考えるようになったのも、そんなことです。

以前は「手の届く範囲のお客様をどうやって喜ばせるか」ばかりを考えていました。もちろん、それは今でも一番大事です。

でも最近は、まだ自分の視界に入っていない人にも、お酒の魅力を伝えられないだろうか。そんなことも考えるようになりました。

だから大学生だった山﨑くんが、遠く愛知県で僕の記事を見て「日本酒を紹介している人」と認識してくれていた。

インフルエンサーと勘違いされていたのはちょっと笑いましたが(笑)、酒屋としては、ある意味本望だったのかもしれません。

「待っててください」

知り合ってから3年。山﨑くんは、ずっと僕のことを気にかけてくれていました。

だから僕自身も、何か応えてあげたいな、とはずっと思っていました。ただ一方で、こちらから取引の話を積極的に切り出すこともしませんでした。

一度、「取引のこと、何も言い出さなくてごめんね」と彼に話したことがあります。

期待してくれているのはわかっていたので、応えられていないことを申し訳なく思っていたんですよね。

すると山﨑くんから、「ちゃんと土井さんに紹介してもらえるレベルの酒ができるまで待っててください」という言葉が返ってきました。

それから時間が経って、今年。

ようやく「これが新しいブランドです」と持ってきてくれた酒が、この「記奥」でした。

だったら今度は、僕が応える番だと思いました。

ぶっちゃけ、まだ粗削りです

誤解のないように書いておくと、僕は「記奥」が、もう完璧に完成された名酒だとは思っていません。

ぶっちゃけ、まだ粗削りです。アラを探そうと思えば、探せると思います。もっと完成度の高い日本酒だって、世の中にはいくらでもある。

上を見ればキリがありません。

でも今回、僕がこの酒を紹介したい理由は、そこじゃないんですよね。

山﨑くんが何年も迷って、酒を造って、「奥」と向き合って、父が残したものと向き合って。

そしてようやく、「自分の酒です」と勇気を持って持ってきた。

そのことには、こちらも全力で応えたいと思いました。

完成された名酒を評価することは、いつだってできます。

でも、若い造り手が最初に踏み出した一歩を飲めるのは、一度だけです。

2026年の「記奥」。これが5年後、10年後にどうなっているのか。僕にもわかりませんし、山﨑くん本人にも、まだわからないと思います。

だから面白い。

いつか「最初の記奥、僕も飲んだよ」なんて話をしながら、今よりずっと成長した記奥を一緒に飲めたら。

それは酒屋としても、結構嬉しいことなんじゃないかなと思っています。

父が残したものを守ろうとしていた若者が、今度は自分の一歩を刻み始めた。

123年間続いてきたその話の続きを、今度は土井商店のお客様にも一緒に背負ってほしいと思っています。