日本酒

【新規取扱】「Maison Aoi(メゾンアオイ)」取扱開始|新潟県 葵酒造

いつも当店をご利用いただきありがとうございます。
四代目、土井優慶です。

この度、新潟県長岡市の葵酒造が手掛ける「Maison Aoi(メゾンアオイ)」を土井商店で取り扱うことになりました。

新規取扱の記事の冒頭で言うことじゃない気もしますが…

僕、いちばん最初にMaison Aoiを飲んだ時、全然ピンときてなくて(笑)

初めて飲んだのは2025年の夏。
まだ葵酒造として酒造りを始めたばかりの頃で、

本人を目の前にして「うーん、ぺらぺらだねぇ」とまで言った記憶があります。

当然、その時は「よし、取り扱おう」とは思いませんでした。
むしろ「こりゃ取扱できないな」とすら思いました。


けれど、その蔵のことだけは妙に気になったんです。

正確に言えば、最初に気になったのは酒ではなく、蔵元の青木里沙さんという人でした。

そこから一年ほど、青木さんや葵酒造のことを情報をなんとなくチェックするようになって、何度か一緒に酒を飲んで、北海道ではかなり長い時間にわたって話もして。

少しずつ見えてきたのが、青木さん一人ではなく、他のメンバーである阿部くん、土居さん、魁人さんたちが、それぞれの役割を持って動く「チーム葵」という酒蔵でした。

でも、人が好きだからという理由だけでは、酒屋は仕入ることをしません。

僕ら酒屋はその酒をお客様に薦めて、お金をいただく仕事だからです。

酒蔵の期待に応えるよりも、私たちを買い支えてくれるお客様のご期待に応える方が優先。

青木さんたちのことは、もう十分応援したかった。
あとは、酒屋として酒の中に「その理由」を見つけられるかどうか。

人はいい。酒はどうだろう。

その最後の答えをくれたのが、二期目の「Maison Aoi」でした。

飲んだ時に思ったのは、

「ああ、これでやれる。」

でした。

やっと扱える。
やっと、酒屋として応援できる。

一年前に飲んだあの酒が、ようやく僕の中でスタートラインにたどり着いてくれた。

今回は、そんなところから始まった葵酒造と土井商店の話です。

ローカル線から降りてきた、謎めいた人

2025年7月。『奥』『記奥』を醸す愛知県の山﨑合資会社へ。
酒造りに関わる仲間たちと視察に行った時のことでした。

この集まりを声掛けしているのが、醸造機器メーカーKPDの菊田社長です。意欲のある若い造り手たちに、いろいろな蔵を見て勉強する機会をつくろうという集まりで、参加しているのは蔵元、杜氏、蔵人。要するに、ほとんど全員が「酒を造る側」の人たちです。

そこになぜか、酒屋の僕がいる(笑)

菊田さんとは同い年で、仕事は違うけれど、お酒に対して向いている方向はたぶん近いんです。造る側なら、もっと美味しい酒を造りたい。僕は酒屋なので、その美味しい酒をもっといろんな人に知ってもらいたい。

そんな共通点もあってか、ありがたいことに僕も時々混ぜてもらっています。

その愛知視察の少し前、菊田さんから「土井さんに会わせたい人がいるんだ」と言われていました。

当日、『奥』『記奥』を醸す山﨑合資会社の裏を走るローカル線の駅から、スーツケースを引っ張ってニコニコしながら降りてきた小柄な女性がいました。

それが、葵酒造の青木里沙さんです。

なんというか、第一印象は「謎めいた人」でした(笑)

いつもニコニコしていて、物腰も柔らかい。
でも何を考えているのかは、まだよくわからない。

その日は山﨑合資会社を見学したあと「孝の司」を造る柴田酒造場へ移動しました。

みんなで持ち寄った酒を飲みながら、造りについてあーでもない、こーでもないと話す。造り手ばかりなので、技術や味についても結構容赦なく言います。

そこで初めて、青木さんが持ってきた「Maison Aoi」を飲みました。
まだ初年度の酒だったと思います。

飲んでみて、

「うーん、ぺらぺらだねぇ」

って、本人を目の前にして言った記憶があります(笑)

軽いというより、僕にはまだ味わいの芯が見えなかった。

青木さんも「そうですよねぇ」と、いつものニコニコした顔でちょっと苦笑いしていて、まだ一年目ですし、自分たちがどこへ向かうのかも試しながら考えているところなんです、というような話をしていました。

菊田さんがせっかく「会わせたい人がいる」と紹介してくれたのに、内心「これは取引できんな」とぶっちゃけ思っていました(笑)

ところが、その日の夜。

昼間は知的で、ちょっとミステリアス。
静かにニコニコしていた人が、酔っぱらってカラオケのマイクを離さない(笑)

翌朝は当然二日酔いで、車の中でほぼ無言。前日の記憶もかなり怪しい。いや、相当怪しい。

菊田さんも「青木さんがこんなにはっちゃけてるの初めて見た」みたいなことを言っていた記憶があります。

青木という”人”はしっかりと記憶に残りました(笑)。

酒より先に、人が気になった

一度会うと、気になるじゃないですか。

「あの人、普段なにやってるんだろう」って。

それから青木さんや葵酒造のInstagramを見るようになりました。

2025年9月には東京の「若手の夜明け」でも再会して、その時も蔵のメンバーだけでなく、地元で関わっている人たちまで含めて結構な大所帯で来ていました。

そこで少しずつ気づいたことがあります。

この蔵は、いつも青木さん一人じゃない。

杜氏の阿部くんが酒屋さんを回っていたり、ブランド担当の土居さんが飲食店でイベントをしていたり、弟で米作りを担う魁人さんが米作りの話をしていたり。

青木さん自身と話していても、「私はこうしたい」という話以上に、「阿部が」「土居が」「魁人が」という話がものすごく多い。

日本酒業界って、小さな蔵ほど、良くも悪くも個人プレーになりやすいんです。

基本的に外回りは蔵元や社長が全部やって、もう少し大きくなると杜氏が表に出てきて、さらに規模が大きくなって営業や蔵人がお客様の前に出るようになる。

でも最初から葵酒造は「チーム」でした。

翌年、2026年7月。前年に愛知を回ったメンバーが、今度は北海道へやってきました。今回は僕が北海道側のアテンド役だったので、青木さんとも車の中でずいぶん話す時間がありました。

実家のこと。不登校だった頃のこと。大学のこと。金融業界で働いていた頃のこと。それから酒蔵で働き、最終的に自分で蔵をやりたくなった話。

いろんな話を聞きましたが、妙に印象に残ったことがあります。

この人の話、登場人物がものすごく多い。

「父母が」「友達が」「昔の同僚が」。お酒の話を聞いても「私はイメージは伝えるけど、形にしてくれるのは阿部くんとかみんなだから」とか「みんなのおかげで」とか。

とにかく「○○のおかげ」という言葉が多いんです。

青木さん自身は、酒造りを生業として育ってきた人ではありません。だからこそ、自分一人ではできないことをわかっていて、自分にないものを持っている人にちゃんと頼れる人なのかもしれません。

阿部くん、土居さん、魁人さん。
いろんな人が青木さんの周りに集まって、結果として今の葵酒造ができている。

他者を大切にできる人は、たぶんいい人です。
いい人って、なんか応援したくなるじゃないですか(笑)

青木さんは、たぶん人ったらしなんだと思います。

僕も、だいぶタラされていたのかもしれません(笑)

そしてこの人、頭はものすごく切れるのに、妙に無邪気なんですよね。

酒蔵有志の北海道視察初日の夜。翌朝も早いから一次会で終わる予定だったのに突然「ジンギスカン食べたい」と二次会へ行き、その後は「ゲームセンター行きたい」と言い出して、なぜか僕と二人で太鼓の達人と車のレースゲーム。

3日目の夜も寿司を食べたあとに「ジンギスカン食べたい」。
最後はカラオケで朝6時です。

なんか、中学生みたいなんですよね(笑)

でも、もしかすると酒蔵でも似たところがあるのかもしれません。

「これ面白そうじゃない?」と周りを巻き込んで、その周りもなんだか楽しそうに一緒にやっている。

そういう無邪気さも「チーム葵」をつくっている一つなのかなと思います。

人はいい。酒はどうだろう。

北海道の視察中、青木さんからサンプルのお酒を3本もらいました。

一本は視察のみんなで飲んだ貴醸酒で、もちろん美味しかった。でも貴醸酒という特殊な造りでもあるし、その一本を飲んで葵酒造の酒質全体を判断するのも違う。

この時、青木さんに「そのうち蔵見せてよ」と言いました。

…でも、本当に「そのうち」ですよ?

興味はある。

でも「今すぐ取引を決めて見に行こう」というレベルではない。それくらいのレベルです。

北海道から帰ったあと、青木さんからお礼のメッセージが届きました。そこには、「無理にということではないけれど、ぜひ土井さんに扱ってほしい」という取引の話も書かれていました。

これが2度目のラブコールでした。

僕としても、もう一年近く彼女たちを見てきて「応援してあげたいな」という気持ちはかなり強くなっていた。

でも、そこにはどうしても一つ、越えられない線がありました。

僕らは酒屋です。

僕らは酒屋です。

人が好きだから。頑張っているから。応援したいから。
それだけで仕入れるわけにはいきません。

だって、そのお酒をお客様に紹介して、お金をいただくのは僕たちだから。

お代をいただく上でお客様だけは絶対に裏切ることはできない。

青木さんたち葵酒造のことは、もう十分応援したかった。

あとは、酒屋として応援する理由を、酒の中に見つけられるかどうか。

人はいい。酒はどうだろう。

その答えになったのが、サンプルでもらった「Maison Aoi 水縹(みはなだ)」でした。

よく冷えた状態では、グレープフルーツやトニックウォーターを思わせる爽やかさ。口に含むと瑞々しく、かなり綺麗なんですが、その綺麗さの中に収れんするような酸と、少しの渋味がある。

低アルコールらしい軽さはあります。
でも、一年前に僕が「ぺらぺら」と言った酒とは全然違う。

酸や渋味が、酒の輪郭をつくっている。

しかも温度が上がってくると、今度は桃や蜜りんごのような甘やかさが出てきて、冷えていた時とはまた違う顔になる。

渋味も邪魔をするのではなく、桃の皮のようなニュアンスとして味わいの中にちゃんといる。

日本酒の中でよく使われる「甘い」「華やか」「ジューシー」だけではなく、果実と酸、渋味、ミネラル、温度による表情の変化。僕には少し、ワインを飲んでいる時の楽しさにも近く感じました。

青木さんがかなりのワイン好きだという話も北海道で聞いていたので、飲みながら「ああ、青木さんが好きなのって、こういう世界感なのかな」と妙に腑に落ちるところもありました。

あとから知ったことですが、蔵の2期目の振り返り資料を見せてもらうと、葵酒造がこの一年で見つけた方向性として書かれていたのが「低精白でありながら、きれいでエレガント」。そして、それを支える軸として「酸とミネラル」が見えてきた、という言葉でした。

僕も「Maison Aoi」を飲んだ時点で、酸や渋味、ミネラル感と、テイスティングノートに書いていました。メーカーの説明を先に読んで、その言葉に味を寄せたわけではありません。

彼ら自身が一年酒を造って見つけたものを、ちゃんと僕も拾うことができていました。

「ああ、これでやっと。」

やっと、扱える。
やっと、酒屋として応援できる。

この酒を、このタイミングで飲んでよかった。

人に惹かれてから一年近く経って、
ようやく酒が「最後の理由」をくれました。

ちょうど8月に別件で新潟へ行く予定があったので、蔵へ伺いたい旨を伝えて…

カラオケで言った「そのうち」は、まさか急に具体的な日付になりました(笑)

「よく、ここであの酒が造れるな」

そして8月、長岡の葵酒造へ。

しばらくするとギギギとシャッターが開いて青木さんが出てきて応接室へ。たぶん青木さん自身が普段仕事をしている部屋。

そこで旧・高橋酒造のことや、葵酒造として酒造りを始めた経緯、二期目に見えてきた酒質の方向性などを、ゆっくり説明してくれました。

ちなみに青木さん、酔っぱらうとあれだけはっちゃけるのに、素面の時は本当にお淑やかです。ニコニコしながら、ちゃんと言葉を丁寧に選んで話す。

そして、声がめちゃくちゃ小さい(笑)

みんなから結構「え?」って聞き返されるんですけど、声が小さいからこっちも一生懸命聞くんですよね。結果として、青木さんの話をものすごく真剣に聞くことになります(笑)。

で、ひと通り話を聞いたあと、蔵の中を案内してもらいました。

最初に思ったのは、

「古っ」

建物も古い。設備も古い。

旧・高橋酒造の時代、途中から大きな設備投資をあまり行わなくなっていたこともあって、最近の設備が整った酒蔵をいくつも見ていると「よくここで造ってるな」と思うくらいです。

でも、蔵を歩いていて本当に驚いたのは、蔵の古さではなく。

「よく、ここであの酒が造れるな」

でした。

あれだけ繊細で綺麗な「水縹」を飲んだあとだったので、この酒がこの場所から造られたのかということの方が、僕には衝撃でした。

蔵全体を使っているわけではなく、むしろ使っていない場所の方が多い。
必要なエリアへ必要なものをギュッと集めて、そこで酒を造っています。

ホームセンターで買ってきたというビニールハウスの中でラベルを貼っていたり。
簡易的なテントのような空間を酒母のために使っていたり。

一方で、酒質を左右する要の部分には、ちゃんと必要な設備が入っています。

何もかも新しくするのではなく限られた資源の中で、

どこにお金をかけるのか。
どこは今あるものを使うのか。
どこは工夫で補うのか。

その見極めをした上で、杜氏の阿部くんをはじめとする造り手が、この古い蔵を使いこなしている。

設備や動線に物理的な制約がある中で、ここまでの酒を造るのは、阿部くんたち造り手の技術と工夫があってこそだと思います。

蔵の中には、まだ昔の設備や、前の時代から置かれたままの物もたくさん残っています。片付けも全部終わっているわけではなく、酒造りの閑散期にみんなで少しずつやっているそうです。

「だって、捨てるのもお金かかるでしょ」と青木さんはまたニコニコしていました(笑)

「あっちは昔○○だったんですよ」
「この設備、よその蔵ではもう使ってないんですけど、うちでは現役で」

そんなことを、なんだか本当に楽しそうに話すんです。

蔵は、なかなかボロボロです(笑)

設備だって、これから替えたいものはいくらでもあると思います。
でも、不思議と悲壮感がない。

「うちにはこれがない」「お金がないからこれができない」ではなくて「今あるもので、こんなことやってるんですよ」という話が多いんです。

なんというか。

ここで、みんなで酒を造っていること自体が楽しそうなんですよね。

父の代の「長陵」と、僕の代の「Maison Aoi」

葵酒造=旧 高橋酒造の話を私の父(現会長)にしたことがあります。

すると「おお、懐かしいな。あそこの酒、売ってたんだぞ」と言います。

銘柄は「長陵」。
僕は全然知りませんでした。

そこで土井商店に残っていた昔の資料を探してみると…

ありました、昭和61年。

高橋酒造の名前と「長陵」
そして当時の私の父が書いた酒質のコメントもちゃんと残っていました。

なんだか、不思議な感じがします。

父の代の土井商店が、昔この蔵の「長陵」を売っていた。
それから長い時間が経って、土井商店も代替わりして。

高橋酒造もいろいろな経緯をたどり、今は青木さんたちが事業を引き継いで葵酒造になった。

造っている人も違う。
会社の形も違う。
酒も違う。

昔と同じものが、そのまま残っているわけではありません。

でも長い時間で見ると、酒蔵も酒屋も、
そうやって形を変えながら続いていくんですよね。

青木さんはM&Aで酒蔵を買った。

そう聞くだけで、まだ日本酒業界には少し”色眼鏡”もあります。

実際、葵酒造についても、事実とは違う噂を耳にしたことがありました。

日本酒って、どうしても「何代も同じ家が守ってきた」という物語を大切にする世界です。

○代目当主とか創業ウン百年とか、廃業寸前の酒蔵を息子がV字回復させたとか、ちょっとロマンがあるほうがお客様に好まれるのも事実です。

創業家がずっと続けていることは偉大だし、それにも当然”価値”がある。

一方で、現実として酒蔵は少しずつ減っています。

国税庁の調査で「実際に清酒を製造した場数」を見ると、この10年で1225場から1104場に減りました。

製造免許の数=同じ指標だけでみると121場が減っている。

廃業はしていないが休眠している蔵を入れると、おそらく200近い酒蔵が無くなっているはず。

そういう時代だから、僕たち酒屋も、飲み手であるお客様たちも、少し見方を変えていかなきゃいけないんじゃないかな、と最近思うようになりました。

同じ家が継ぐ。
同じ会社が残る。
同じブランドを守る。

もちろん、それができれば素晴らしい。

でも、それだけが歴史を残す方法ではない。

違う誰かが引き継ぐこともある。
M&Aという方法もある。
人も会社もブランドも変わることがある。

そこでまた酒が造られる。
酒屋が売る。
お客様が飲んでくれる。

そうやって形を変えながら続くことも、ひとつの「残る」なんだと思います。

父の代の土井商店は「長陵」を売っていて、何十年か経って、そのことすら知らなかった僕が青木さんと出会い、今度は「Maison Aoi」を扱う。

ずっと一本の線でつながっていたわけではありません。

途中で離れて、また別の場所で交差した。

酒の商売って、こういうことがあるんだなと思います。

土井商店が「Maison Aoi」を扱う理由

僕は、葵酒造がすでに完成された酒蔵だとは思っていません。

だって、やっと今年で3期目=3回目の酒造り

蔵を見れば、設備だってまだ替えたいものがたくさんあるでしょうし、酒質にもこれから詰めていくところがあると思います。

実際、葵酒造自身も二期目を振り返って、甘味と酸味のバランスや奥行き、酸の出し方など、これからさらに詰めていく課題を挙げています。

でも、僕はそこも含めて「応援しよう」と思います。

青木さんと話していても「とにかくたくさん造って、めちゃくちゃ売って、大きな会社にしよう」という感じはあまりしません。

本人が言っていたのは、

「チーム葵でできる範囲でやりたい」

ということ。

実際、蔵の計画でも「製造量の緩やかな増加」「製造キャパに対して余裕のある酒造り」を当面の方向と定めています

自分たちのやりたいことを。
自分たちが一緒にやりたい人たちと。
一緒にやる。

今の葵酒造が向いている方向って、たぶんそういうこと。

9月に視察に行っていた三重県で偶然日本酒のイベントが行われていて、そこにはチーム葵の姿がありました。

青木さんだけじゃなく、土居さんと、魁人さんと。

10月の「若手の夜明け」では杜氏の阿部くんにも会って「あんなに丁寧なコメントありがとうございます」と、僕がMaison Aoiについて書いたテイスティングコメントについて声をかけてくれました。

やっぱり。

どこへ行っても、みんないる(笑)

「チーム葵」というのは格好だけのセールス文句じゃない。
本当に、そういう蔵なんです。

まず土井商店のお客様には「Maison Aoi 白菫(しろすみれ)」「Maison Aoi 撫子(なでしこ)」のどちらかから試していただければと思います。

白菫は「綺麗な飲み口の後に広がるミネラル感と旨み」。

撫子は「上品で華やかな香りと愛らしい甘味」。

冷えているとエレガントなのに、常温に近づいてくると急に官能的になる。

わずかな時間でガラリと表情をかえる。

こんな短時間でここまで表情を変える酒は、僕もなかなか記憶にありません。

ワインが好きな方には、Maison Aoiのこういう部分はかなり面白く感じてもらえるんじゃないかなと思っています。

ただ。

この蔵は、酒だけ見ていたら半分しか面白くない。

もちろん、酒が美味しいことは大前提です。
それがなかったから、僕は一年前、取引をしませんでした。

もしどこかのイベントで葵酒造の皆さんに会う機会があったら、ぜひ彼らを近くで見てみてください。

たぶん、みんな楽しそうにしています(笑)

そしてその姿を見ると、僕が一年以上この蔵を気にし続けて、最後には「ちゃんと応援してあげなきゃな」と思った理由も、少しわかってもらえるんじゃないかなと思います。

酒を応援する。
人を応援する。
蔵を応援する。

昔はそんなことまで考えなくてもよかったのかもしれません。

でも酒蔵そのものが少しずつ減っている今は、応援できる人が、応援できる形で支えることも、日本酒や、蔵や、その土地に残ってきた長い時間が続いていくことになる。

父の代の「長陵」から、僕の代の「Maison Aoi」へ。

長い時間の中で、土井商店とこの蔵の線がもう一度交わりました。

古い土井商店をご存じのお客様にも。
今回初めてMaison Aoiを知るお客様にも。

形を変えながら続いていく、この酒蔵の「今」を、一緒に飲んでもらえたら嬉しいです。